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高度経済成長期の昭和42年に登場した車両で、昭和45年の大阪万博のアクセスを担う立役者となった 車両です。
車体はセミステンレスとアルミの2タイプがあり、屋根肩は側板と突き合わせ、前面はフラットな切妻、 側扉は片側4ヶ所設置され、戸袋窓は簡略されました。 座席はFRP製基板のベンチタイプで、暖房も設置されていませんでした。 制御装置は抵抗制御で2両1ユニットとする1M8C方式となり、編成が長くなったときの付随車の組み 込みを考慮して、主電動機出力が120kWに増強されています。 制動装置は国内初の全電気指令ブレーキが採用されましたが、運転台は従来の縦軸2ハンドルタイプに なりました。
昭和48年からの増備車は、新造時から暖房装置が設置、貫通路の引き戸も備え、座席も布地貼りに 変更されました。 また、アルミ車に関しては大型形材の使用によって、屋根肩に丸みが付くなどのマイナーチェンジが 行われています。 当初は7000・8000形と名乗っていた同車は、翌年の新造車から30系に改められていますが、 大阪万博の後も増備が進められ、最盛期には北大阪急行の買い取り車も含めて、約360両ほど製造 されました。
平成4年から冷房改造が行われ、ダクトは工事簡略化のために屋根の上に外付けされています。 また、車内は冷気を攪拌(かくはん)するためにローリーファンが取り付けられました。 この内、3492・3493・3499の3両は冷房化の際に先頭車から形式変更されています。
新20系の登場で廃車や転属が行われ、一時期は抑速ブレーキを設置し中央線に配属されたり、 車内信号を搭載して千日前線にも配属されましたが、昭和48年以降のステンレス車と昭和51年以降の アルミ車(当初から谷町線配置)以外は各線区の新20系増備によって廃車となりました。
尚、冷房改造時に先頭車から形式変更された3両はステンレス車です。 |
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